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キッズスクールコーディネーターのまなざし【キッズスクール】

キッズスクールコーディネーターとして着任して半年が過ぎました。
ここらで、私のキッズスクールコーディネーター観を振り返ってみようと思います。

こんにちは、キッズスクールコーディネーターの平間美海です。

1.今更ですが、少し自己紹介から始めようと思います。

令和3年度4月から教育委員会生涯学習グループのキッズスクールコーディネーターとして着任し、これまでいくつかのキッズスクールの企画運営をしてきました。
キッズスクールコーディネーターとして着任する前は、東京に住み作曲の仕事やらアニメの会社で音楽担当者として働いたり、とにもかくにものらくら自分のやりたい仕事をやっていました。
コロナ禍で都会にいても外にも出られない・感染リスクも高い、職種的にどこでもできるし子どももいるしで、この機会に自然がたくさんで夫の出身地である下川町に家族で帰ってきました。

今は、平日午前中はキッズスクール
午後は元々の自営業の続きで作曲の仕事をしています。

キッズスクールとの出会いは、タウンプロモーションの方からの紹介でした。
「美海さん、色々できるし、ずっと子ども関係の仕事してたって言ってたからキッズスクールコーディネーター募集してるけどどう?」
「自営業もあるのでフルタイムは難しいんですけど…」
「大丈夫!基本午前のみ、キッズスクールのプログラムがある日しか午後まで勤務ないから〜」

ほう、それは面白そう。
でも役所関係でしょ?上下関係とかお伺いとか面倒そうだな〜
そういうことができないから自営業なのに(笑)
と思いつつも、採用担当者の方と面談。

お?なんか風通しよさそう!
面白そうだし、自分のライフスタイルにも合致するし、やってみよ〜っと!
という感じで、始めました。

始めてみると、かなり裁量がある!いや、「かなり」どころじゃない!
99.9%、私のスタイルでできるじゃないか〜!
ダメな時だけダメと止めてくれて、とても話しやすい上司や同僚たち
教育委員会のメンバーも上官から下々まで、とっても居心地がいい!
それに私の性質上、程よく放任してくれる働き方はめちゃくちゃ合っています!
勝手にしたいというわけではなく、右脳派・アイデア先行型なので、まずは風呂敷をバーン!と広げて、それを少しずつ縮めていくみたいなやり方の方が、モチベーションを保ったまま、自分が一番子どものように仕事できるのです。正直、それが一番パフォーマンスが良いんですが、社会というものはそうもいかないので、結局どうしてもそのやり方でやりたかった私は自営業になったのです(笑)

しかし、教育委員会はそれが揃っている現場でした。
素敵でしょ?

2.キッズスクールコーディネーターが「ボランティア」ではなく「雇用されている」理由を考えて

キッズスクールは現在のところ、保護者の方や子どもたち、地域の方々からの印象は「おもしろいところ」「低学年が行くところ」「小学生だけ、自分には関係ない」「預けるところ」という感じ。
この主旨であれば、何も雇用の形をとってコーディネーターなんて名乗る必要はなさそうです。
ボランティアや地域の有志でゆるゆるプログラムを考えて実行すれば済む話。

着任して一番最初に考えたのはコレでした。
「なぜボランティアではなく雇用なのか」

お金をいただく意味が、コーディネートしてほしい意味があるから雇用なのではないか?
キッズスクールを「子どもルンルン楽しい体験会」だけで終わらせたくない意図があるのではないか?

やるからにはコーディネーターとしての目標を立てねばな、と思いました。
ちゃんと「働く」にはそういう目標設定、大事ですよね、どんな業界だって。

2.5.幕末から得る現代に必要な生き方とは

ところで、私は幕末オタクです。
半分研究者に足を突っ込んでいると自負している幕末オタクです。
ぬるいオタクではなく、そのためにお金を湯水のように使うタイプの重いオタクです(笑)

そのことからも、私の中の生きる指針、というとたいそうですが、一種人格的な軸となるものは歴史から得ていることが多いです。
幼い頃から図書館の主と呼ばれ、小学校の図書室の蔵書3万冊を6年間で読破してきた私。色んなジャンルの本を読みまくりましたが、特に歴史書はひとつのバイブルのようなものです。
その中でも特に特に心惹かれたのが幕末の歴史でした。

吉田松陰 肖像

幕末に「吉田松陰」という人物がいるのはご存知でしょうか?
長州(今の山口県)に私塾・松下村塾を開き、たった数年の開塾であったにもかかわらず、明治維新を魁け、後の世の総理大臣など国家の要職に就く教え子を輩出します。有名どころだと三秀(または四天王)と言われた、
高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、(入江九一) あたりでしょうか。
伊藤博文や山縣有朋も塾生の一人です。
松下村塾に入り浸った教え子もいれば、たまに食客のように参加していた教え子もいます。そのあたりで有名なのは、木戸孝允(桂小五郎)や乃木希典と本当にまぁ錚々たるメンバーがそろい踏みしています。


吉田松陰は教え子たちに何を教えたのか、というと。
勉学ではなく、思想でした。
いや、「教える」というのも違う気がします。
「気づかせた」に近いかもしれません。

キッズスクールは、学校ではありません。習い事でもありません。
勉強ができるようになるために行く場所でもなければ、一つの特技を得るために訓練しに行くところでもありません。
毎回プログラムに来るか来ないかは子どもたち自身が決めて、学年関係なく自由に参加します。
なんだかこれが松陰が運営していた松下村塾に似ている立ち位置だなと思いました。

今の世、思想というとなんだか危ないイメージがありますね。
本来思想というのは危険なものでもなんでもなくて、たくさんの生き方や選択・現代では情報も溢れていますが、それらをどう取捨選択し、どう生き、どう死ぬかの指針にするものだと思っています。
良いも悪いも右も左もありません。

選択肢が多ければ多いほど人は迷います。
でも、決定しなくてはいけないときは必ず訪れその時何を大切にするかが思想の要です。
現代のイメージでは思想は植え付けられるもの、という感じが強いですが、「色んな意見を聞き、認知し、自分自身で噛み砕き、自分の中で作り上げていくもの」だと思うのです。

キッズスクールは、松陰がやったようなひいては人格のためになるような活動をするべきではないかな、と思ったのです。
もちろん、吉田松陰は偉人です。私のような凡人は足元にも及びませんが、目指す形は「現在の松下村塾」だなと思いました。

どんな子でも。どんな形でも。

子どもたちの可能性は無限大です。
皆それぞれに伸びしろがあり、どこが秀でてどこが劣るかは個人様々。
どれが良くてどれが悪いもありません。

勉強だけで、学歴だけで、皆と一緒のことができないから。
なんていう時代は終わっています。
いや、松下村塾は今から150年前の幕末にそれをやっていたのですが(笑)
それぞれがそれぞれの生き方を得て戦っていくことが必要です。

その気づきを得るために吉田松陰がやったことになぞらえれば
「本学」「末学」と言います。

目的や背景を教える「本学」
手段を教える「末学」

この「本学」教育の一端を担うべきがキッズスクールだと思いました。

具体的な詳細目標も書いておきます。

失敗を恐れない子
誰も失敗という事象を責めることがない。恐れない環境を作る。
失敗は次回のやり方を考査するために起こりうるもので事象自体に特記した意味はないと考えるため。

己を義で律する子
自分の中で掟を作る、縛るものでもあり軸になるものでもある、何があってもこれだけはしない・これだけはする、これを通さずして死にきれんということを持つ、時代や風潮には常にしなやかでいるべきだが、なんでもOKでは自分の在り処を失うと考える。ここで言う「義」とは「心の在り処」。ただしその心の在り処を人に押し付けることはしてはならない。なおこの義は己のためにあるもので他人に振りかざすものではない。

「生きる」ことを常に考える子
=死ぬことを考えてみる。若い世代は死ぬことが身近ではないが死は常にそこにある。どうすれば善く生きられるか、どう生きたいかを考える鍵は死にあると思う。もし明日死ぬとしたら「どうにかなる」と考えることはあるか?

物事の両面を自然に考えられる力をつける子
被害者意識や他人事意識はここから生まれると考える。物事にはっきりした善悪は存在しない。(例えば、「人体には自然のものがいい」(良い面)。では悪い面は?「トリカブトも自然のもの」(悪い面)「自然」がいつも我々に優しいわけではない。)
どんな嫌なことでも合わない人や事象にも両面がある。両面を受け入れる必要はなく、無理により良い方向に持っていくなど自身に合わない努力をする必要はない、「そんなのもあるんだ、でも私は無理だな」でOK。両面そこに存在するということを理解さえしていればいい。(否定しない、一方的な正義を振りかざさない)

見てください!この小学生向きとは思えぬ小難しい目標を!!(笑)
難しい言葉で書いてありますが、まとめると
「深い思想と思慮を持った本学的な人間性を育てる」ってことです(笑)

3.本学教育のための具体的なプログラム作り

キッズスクールは、「つくる(工作・料理)」「スポーツ」「アウトドア」「地域福祉交流」「プロ企画・最先端・合同開催」「文化」「考える」に主旨を振り分け、プログラムを作っています。

例えば、「つくる」プログラムから得られるものはなんでしょう?
ものを完成させる、丁寧につくるなど。
その裏に、他者を思いやり手伝う、できない時に自分から助けを求める、自発的に次の行動を考える、みたいなものも得られます。

キッズスクールのプログラムは最近まで低学年向きでした。
それでは高学年離れも引き起こし、また低学年の子も「お客さま」気質になってしまいます。
だからすこーし難しくしてみているのです。狙うは4年生くらい。
となると、参加している高学年の子は難易度ややりがいが上がる、低学年の子はできた時に達成感と満足感がある。
裏の面では、低学年の子は難しいから助けを求める、高学年の子はそれを手伝う。

最初は機械的で手段的でも、子どもたちは子どもたちなりに考え始めます。
「自分より年下の子はどういうことができて、どういうことを求めているのか?」
「どのように伝えたら自分の欲しているところをピンポイントで助けてもらえるか?」

さらにはいつか、この経験を通して
「自分は人の様子を詳細に見ることが得意だな」
「私は気遣い屋というよりはチームを引っ張っていく方が良い成果を残せるかも」
と変化していく可能性があります。

今、対峙している相手の目的・環境や背景が見えてくれば自ずと動くことができます。
これは算数の公式とは違う、臨機応変な対応力や深い思慮、そしてその経験が自分の向き不向きを判断することになったり、こう生きていくぞ!という志につながると思うのです。

4.最後に

吉田松陰の言葉に
「いかに生きるかという「志」さえ立たせることができれば、人生そのものが学問に変わりあとは生徒が勝手に学んでくれる」
というものがあります。
私もそれを信じています。

そしてキッズスクールだけではなし得ないことも理解しています。
しかし、6年でひとつ小さな爪痕を、どこかに。

キッズスクールでの6年間通して、小さな小さな思慮から芽吹く、志の双葉がいつかどこかで役に立つことを祈っています。

P.S. ちなみに私は幕末の中では新選組のオタクです。松陰一派とは真逆の運命を辿りました。いわば、「敵」贔屓なのですが、佐幕派・(広い意味での)新政府派両方の文献を読み、いろんな角度から見ると敵は敵なりに天晴れ!と思うのです。どちらかに肩入れしない、というのも思慮のひとつかもしれません。ファンであって信者ではない。片方が絶対正義で片方が絶対悪ということはありません。そうそう、こんな多角的な目もやはり歴史好きの中で培われたものかもしれません(笑)現代にも必要な力だと思います。

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