「SDGs未来都市」って何が先進的なの?選ばれた理由とその実態
こんにちは。「しもかわまちづくりノート」編集部の立花実咲です。
「SDGs」なるキーワードを聞くようになって、3年くらい経ちました。
最初に聞いたときは、自分の世界とは遠く離れた言葉として、ふわふわしていたものです。
「えすでぃーじーず? なんの略? てか略称のわりに長いな……言いにくいし」という感じ。
ただ、初めてSDGsという言葉を聞いてから1年後には、多くの企業や自治体が注目するホットなキーワードとして、認知度が急上昇。
2018年に下川町がSDGs未来都市に選ばれ、「ジャパンSDGsアワード」という賞を受賞してからは、下川に対する注目度も急上昇となりました。
SDGsという言葉が、他人事ではなくなっていたというのが、ここ2年くらいの出来事です。
写真:河野涼(@ryoxxx71)
ただ、この盛り上がりの真ん中にあるのは「惹きの強いキャッチコピー」と変わらない、ただの“言葉”。
「SDGs未来都市」としての実態は、まだまだ挑戦の途上ですし、詳細はあまり知られていないように思います。
「SDGs未来都市に選ばれる=オリンピック選手に選ばれる」という状態なら、地域の実情はオリンピックの試合当日、ウォーミングアップを始めた……くらいのステータス。
このnoteでは、下川町が、なぜSDGs未来都市に選ばれたのか、具体的にどんな“SDGs的な”とりくみをしているのかをご紹介します。
ウォーミングアップから、実際に試合をスタートさせるまでのリアルタイムな状況を、大人たちに怒られない範囲でお届けしてゆきます。
(※情報はつどアップデートして追記・修正を重ねていきますのでご了承ください)
そもそもSDGsってなんだっけ
SDGsは、冒頭に出てきた通り、略称です。
正式名は「Sustainable Development Goals」。和訳は「持続可能な開発目標」。
2015年に193ヶ国の首脳が署名し、国際連合で2030年をめどに選定された17個の目標を指します。
この17個の目標が設定された当時に公表された文書は、こんな一文で始まります。
元が英文だからなのか、なんとなくドラマティックな書き出し!
読み進めていくと、こんなことも書いてあります。
目が回るほど忙しいであろう各国の要人たちが集まって、貴重な時間を費やしてまで言語化を試みたことからも「地球があらゆる方面でヤバいらしい」ということが伝わってきます。
SDGsは「2030年までに世界各国がクリアしておくべき課題を17個に厳選し言語化したもの(クリアしないと人類が詰む)」──と考えるとわかりやすいでしょうか。
なぜ下川町がSDGs未来都市に選ばれたのか
こうして壮大な人類生き残りのための目標が打ち出されたわけですが、下川町は2017年、ジャパンSDGsアワードを受賞しました。
この頃から、ある業界では下川町の名前がじわじわと浸透していくのです。
ジャパンSDGsアワードを受賞したのは、これまで(過去)やってきたことに対する評価の一つでした。
2018年には、SDGs未来都市に選定された下川町。
その理由は、これから(未来)の志と姿勢が評価されたから。
では「なぜ下川町がSDGs未来都市に選ばれたの? 選ばれるほどの志って何?」というところをお話するには、まず地域がこれまで何をしてきたかをお伝えする必要があります。
オリンピック選手が突然国の代表に選ばれるわけではないように、下川町がSDGs未来都市に選ばれたのにも、これまでの背景がありました。
「経済⇄環境⇄社会」のサイクルが出来上がっているか
下川町ではSDGs未来年に選定される前から、自然環境・社会環境・経済環境の3つの調和を保ちつつ政策を進めてきました。
そしてこの3つが相互に影響しあって調和している状態こそ、SDGsが目指す世界と重なったのです。
「人にも地球にも優しい」という謳い文句は、いつから出てきたかわかりませんが、まさにその文句を体現しているのが下川町の政策でした。
「じゃあ具体的に、どんなふうに体現しているの?」ということで、ざっくりとご紹介します。
①経済:森林総合産業の構築について
写真:河野涼(@ryoxxx71)
下川町の面積の90パーセントは、森林です。
「これだけたくさんある木を、活かさない手はないっ!」ということで、1953年に国有林を1,221ha払い下げを受けました。
国の持ち物だった森林を町が買うことを「払い下げる」といいます。
当時、1億円規模の財政だったにもかかわらず、8,800万円をはたいて森を購入。「リスクとか考えなかったの?! 大丈夫?!」とハラハラするくらいの思い切りです。
身銭を切って森を購入し「さあ、これから」とふんどしをしめた、その翌年の1954年。
「洞爺丸台風」という北海道史上最悪と名高い台風が、下川町を直撃。せっかく購入した森林はなぎ倒され、壊滅状態に。
甚大な影響を受けましたが、一方で林産業界・商工業者は風倒木景気に沸き、町の財政を潤しました。
しかし、その後冷害や大水害などの影響により下川町は1956年に財政再建団体になります。
写真:河野涼(@ryoxxx71)
追い討ちをかけるように、安い外国産材が入ってきて日本の林業・林産業は苦戦を強いられるようになります。
だからこそ、安定した雇用と木材の供給を確保するために、1960年には持続可能な森づくりが始まりました。
毎年、50ヘクタールの山にトドマツ🌲を植え続け、60年経ったら伐採し、また植える……というもの。
農業と違い、林業は結果が出るのに時間がかかります。
なんなら、木が成長して伐採する頃には、幼木を植えた本人は亡くなっている……なんてことも珍しくはありません。
林業は「自分不在の未来」のための仕事でもあるのです。
写真:河野涼(@ryoxxx71)
こうした森づくりを「循環型森林経営」と呼び、1960年以降は下川町の林業・林産業の土台になっています。
さらに、木を余すことなく使うカスケード利用(材質に合わせて付加価値をつけること)を行い、捨てるところが無くなるよう、加工設備を整えました。
現在の下川町内では、8社9工場が稼働しています。
森で木を伐り出して加工し、商品化して卸すところまで、全て町内で完結するのです。
こうした環境は、人口3,300人の町の規模を考えるとめずらしいといいます。
町の90パーセントを占めつつ、産業として地域を支える足腰にもなっている、森。
その森で培い続けた60年間の1サイクルが、もうすぐ終わろうとしています。
②環境:地域エネルギー自給と低炭素化
「森林を余すことなく使おう!」と、あれこれ工夫はしてみるものの、使い道のない木端や枝なんかは、どうしても出てきます。
下川町の場合は、これらとエネルギーを結びつける方法を選びました。
写真:河野涼(@ryoxxx71)
2019年11月現在、下川町には11基の木質バイオマスボイラーがあります。
これらのボイラーは、木を燃やして熱水を作る機械。ボイラーから熱水が配管を通って暖房や給湯として活用される、という仕組みです。
写真:河野涼(@ryoxxx71)
端材や木端をボイラーに投入し、それらを燃やして熱水を生む──。
マイナス30度にも冷え込む下川町ですから、冬は不在だろうが在宅だろうが関係なく灯油ストーブをガンガン焚きます。
そのため、毎月の灯油代は1万円以上するのが普通です。
けれど、この木質バイオマスボイラーの配管が通ることで、灯油を使う場合よりも1年で2,600万円も安く経費が抑えられているのです。経済的!
ボイラーの配管が通っているのは、町内では以下の場所。
・五味温泉(冷泉なので温める必要があり、熱をめちゃくちゃ使う)
・幼児センター(満5歳児が通う保育園)
・育苗施設(農家さんが使う苗を育てる施設)
・下川町役場
・公民館
・あけぼの園(高齢者住宅)
・一の橋バイオビレッジ(一般住宅)
・下川小学校
・下川中学校
・下川町立病院
・一部の町営住宅 ……などなど全部で30施設
このボイラーのおかげで、公共施設の熱源68パーセントは灯油ではなく、森林バイオマスエネルギーでまかなわれています。
森林バイオマスエネルギーとは、下川町産の木材のうち、建築廃材などを含まない森林由来の資源を活用して生み出されるエネルギーのこと。
地域の中でエネルギーを作り出して使うサイクルが、下川町の一部ではすでに確立されているのです。
③社会:超高齢化対応社会創造
産業とエネルギーの話は、こんな感じ。
でもここにはほとんど、“人”の話が出てきません。
ということで、話題は下川町のとある限界集落へ移ります。
(筆者撮影)
多くの自治体が超高齢化と言われるように、下川町の高齢化率も39パーセントを超えています(2019年9月に総務省が発表した全国平均は28.4パーセント)。
下川町にも、過去に高齢化率50パーセントを超えた地域があります。
それが、一の橋地区です。
最盛期には2,000人以上の人が暮らし、劇場や商店が立ち並んでいた一の橋。
しかし、2009年には95人まで減少。いわゆる限界集落と化しました。
産業の衰退やJRの廃線など、人口減少には様々な要因がありますが、とにかく何もしなければ一の橋地区は消えてしまう……背水の陣に追い込まれていたのです。
一の橋神社前(筆者撮影)
けれど、一の橋を残したいという住民からの強い要望もあり、町が消滅する未来を打破するため、2010年から下川町では一の橋という地区で地域おこし協力隊の採用を始めました。
協力隊は2009年から制度化されたため、2010年から募集・採用をしている事例は、全国でもめずらしかったといいます。
また、一人暮らしのお年寄りも安心して住めるように住宅を一か所に集め、先ほど登場した木質バイオマスボイラーの熱を全戸に供給できる、廊下でつながった、平家のアパートのような住宅施設をつくりました。
一の橋バイオビレッジ(写真:下川町役場提供)
「一の橋バイオビレッジ」と名付けられたこの住宅には、ずっと一の橋に暮らしていた人も、よそから引っ越してきた人も入居し、今では25世帯の住民が暮らしています。
さらに、バイオマスボイラーの熱を活用して、菌床しいたけの栽培もスタート。
特有の匂いが強くなくプリプリとした食感が特徴。今では日本最北の菌床しいたけとして、少しずつ売り上げを伸ばしています。
しいたけを生産することで、作り手としての雇用が生まれ、現在は32人が、しいたけハウスで働いています。(※2019年11月27日時点)
写真:河野涼(@ryoxxx71)
下川町なりの生存戦略として、こうした「経済(林業・林産業)⇄環境(木質バイオマス)⇄社会(一の橋)」のサイクルを、数十年で確立してきました。
これらの取り組みが、SDGsの17個のゴールにピタリとハマり、SDGsアワードを受賞しました。
これからの「官民一体のまちづくり」
今までお話したのは、数十年前に起きたことや、始まったこと。
SDGs未来都市に選定されたのは、これからのまちづくりに対する姿勢や志が評価されたから……とは冒頭でお伝えしました。
ではその姿勢や志とは、いったいどんなものなのか。
このnoteでご紹介したいのは、まちの未来を考えるチェックリストとしてSDGsを用い、町民がオリジナルで生み出した、7つのゴールです。
円グラフに書かれている7つのゴールは、下川町が「2030年には、こうなっていたい」という目標を設定したもの。
2017年に、下川町総合計画策定審議会SDGs未来都市部会が組織されました。地域あるあるかもしれませんが、組織の名前が長い……覚えにくい……。
民間から10名、行政から10名で構成されたメンバーで、「こうなったらいいな」「こうなったら嫌だな」というイメージのブレストから、個別具体的な課題の洗い出しまで、半年間かけて話し合いました。
そして設定されたのが、この7つのゴール。
地域の目標ですから、老若男女が理解できる表現であるかどうかもとても重要。そのため、言葉の一つひとつを、ていねいに決めました。
例えば、冒頭に紹介した国連の公式文書には、こんな表記があります。
7つのゴールを決めるとき、この「誰一人取り残さない」という表現も議題に上がったといいます。
けれど「『誰一人取り残さない』って、なんだか上から目線に聞こえる」という意見が出たことから、下川町の7つのゴールでは「誰一人取り残されない」という表現に変更されて、使っています。
それから、民間10人の中には子どもを持つ母親や父親もいました。そのため、当初は無かった「子どもたちの笑顔と未来世代の幸せを育むまち」というゴールが、議論を重ねる中で追加されました。
行政が突然「わたしたちの町は、こんな未来を目指します!」とトップダウン的に訴えたところで、住んでいる人々は誰も共感できないし、ましてや自分ごとで考えるのはむずかしいものです。
そうした乖離を生まずに自分ごととして地域のことを考えられるようになったら……という思いで、2030年までの目標が決められました。
7つのゴールを達成するために、まずは目標を共有する
とはいえ、目標は「決めたら終わり」ではありません。
これらを達成することが、だいじです。
金メダルを取るという目標のために、本番までたくさん練習したりトレーニングをしたりするのと一緒です。
ただし、アスリートと違って、町の目標は一人や少数だけで頑張っても達成できません。
定めたゴールがなぜ必要なのかを、地域で共有する必要があります。
そうした7つのゴール(ひいてはSDGs)を町内でより多くの人に知ってもらうために、町内では様々な切り口の取り組みが、おこなわれています。
(1) 映画『TOMORROW 〜パーマネントライフを探して〜』上映会
映画『TOMORROW 〜パーマネントライフを探して〜』の上映会が行われたのは2017年7月。
子育て中のお母さんや年配の方向けに昼の部、日中働いている人のために夜の部を開催。
町民に参加を呼びかけ、のべ50名ほどが集まりました。
上映会では、ただ映画を見て終わるのではなく、取り上げられる各国の取り組みやエピソードで、ぜひ下川町でも取り入れたいことや学べることをワークショップ形式で話しました。
写真:筆者撮影
(2) SDGsの認知度調査とスタンプラリー@うどん祭り
下川町で毎年8月末に開催される「うどん祭り」。
手延べうどんの産地として、いくつかのうどん屋が出店し、短い夏の一大イベントの一つです。
2019年8月の「うどん祭り」では、SDGsの認知度調査とスタンプラリーを実施。
写真:下川SDGs推進アンバサダー清水瞳(慶応大学院)
スタンプラリーは「未来へトレジャーハンティング~2030年の下川に宝の地図を遺そう~」と題して、ヒントをもとに町内のSDGs的な施設(バリアフリーだったり地域の木材を使っていたりする施設)を巡ってスタンプを集める……というもの。
「子ども向けの企画でしたが意外と同行していた大人たちが興味を持ってチャレンジしてくれたのが良かった」と実施したメンバーは話していました。
認知度調査はうどん祭り会場にSDGsのシールを、自分が当てはまるものに貼っていくというもの。
下川町民177人のうち、約70パーセントの人が「SDGsを知っている・説明できる」と回答しました。
写真:下川SDGs推進アンバサダー清水瞳(慶応大学院)
(3) SDGs仮装大賞とおみくじ
写真:下川SDGs推進アンバサダー清水瞳(慶応大学院)
2019年10月31日には、町内で仮装大賞がおこなわれました。「一番SDGs的な仮装をしていた人が優勝!」とのこと。
SDGs的な仮装とは、家にあるものを使って衣装を作る、というようなもの。
同時開催でSDGsおみくじも実施し、町内の子どもたちがお菓子をもらいながらSDGsの目標についても学べるという一石二鳥の企画でした。
写真:下川SDGs推進アンバサダー清水瞳(慶応大学院)
(4) よしもと森喜劇
エンタメの力で地域を盛り上げることを目的に、下川町と吉本興業が連携協定を締結。
コラボ企画として、ガバメントクラウドファンディングで資金集めを行い、2019年10月に下川町民の手作りによる「よしもと森喜劇」を実施しました。
写真:よしもと森喜劇実行委員会
「なぜ吉本興業と下川町が手を組むの?」という声も上がりましたが、芸人さんや新喜劇というきっかけを通じて、今まで下川町のことを知らなかった人にも注目をしてもらえたました。
筆者も舞台に立ちましたが、今まで名前も知らなかった町の方々と話したり舞台を一緒に作ったりして交流が生まれたことが、一番うれしかったです。
(5) 町内向け冊子配布
写真:筆者撮影
「7つのゴールがなぜ必要なのか」ということを、町民により理解してもらうため、大人向け・子ども向けのページに分けて冊子を作成しました。
子ども向けのページは、親しみやすいように絵本仕立てに。
こういった冊子は、ただポストに投函して配布するだけではなかなか読んでもらえないので、より効果的な配布方法を現在模索中です!
(6) 暮らしているツアーズ
町民が、住んでいる地域のことをよく知らないというのは、めずらしいことではありません。
身近なものに隠された良さほど、見えにくいもの。
ということで、町内を巡り歩き、今後こういう町になったらイヤ/嬉しいかを考える「暮らしているツアーズ」が開催されました。
納得感の違いが暮らしを変える。町を変える。
SDGsという英語の並びは、老若男女に浸透させようと思っても、なかなかむずかしいものがあります。
というのも、地域の住民たちは、みんな日々の生活で忙しく、毎日ちゃんとごはんが食べられて仕事があれば、生きていけるからです。
「国連が定めた17個の目標が我々の町の未来と紐づいているのだ!」と言われても、遠い世界のことのよう。
関心を寄せるきっかけがつかめなければ、ただの流行語として記憶から消えてゆきます。
というのも、下川町は、SDGsというキーワードに即して狙ってまちづくりをやっているわけではないからです。
持続可能なまちであるためにどうしたらいいかを真摯に考えていたら、たまたま国連の定めた目標と重なった……と言う方が正しいかもしれません。
ただ、今一度、ここで町としての姿勢を示すためにSDGsという世界共通語が必要でした。
さらに、住民でその意識を共有するために、下川町の共通言語に翻訳しなおした「7つのゴール」という目標が必要だったのではないかと思います。
(筆者撮影)
目標を達成するための課題も、やるべきことも、やりたいことも、まだまだ山もり。
これらをひとつずつ紐解いて、形にしてゆくためにも、7つのゴールを実現するための活動と同じくらい、目的の共有も大切な時間なのだと思います。
(※情報はつどアップデートして追記・修正を重ねていきますのでご了承ください)
参考:日本の高齢化率、世界最高28.4% 推計3588万人|朝日新聞digital、国際連合広報センターウェブサイト、2018年9月「広報しもかわ」